今の勉強が学力に合っていない
その単元を学ぶ上で必要な前提知識や能力が足りていないということです。
たとえば分数ができない人に割合や比例はわからない。
なぜなら割合や比例は分数で考えるからです。
また、化学式が全く分からない人に、化学反応式は絶対にできない。
学校のテストで平均点を大きく下回っている人は、現在進行中の授業や宿題をどれだけ頑張ったところで絶対にスコアは伸ばせません。
その状態でテストのスコアを伸ばすためには「とりあえず暗記」という短期の記憶に頼るしかありません。
内申点が気になるのでとにかく宿題をやるが、まともに解けないので時間がかかり、答えの丸写しに走ります。
理解が中途半端なので、結局テストで点はとれず、目的だった内申点も上がりません。頑張りが報われないので勉強そのものに嫌気がさします。
こういった人はまず、前学年や過去の単元の復習を自らしなければならないので時間が相当必要になります。
「できる」の定義が間違っている
「解ける」と「できる」は全く違います。
「できる」とは「解ける」でなく・・・速く正確に解けること、それを他人に説明し、理解させることができるということ。
「解ける=できる」と認識しているうちは、計算ミスなどのケアレスミスが無くならないし、様式が異なる総合問題に手が出せません。
これではテストのスコアも上がりません。
たとえば野球で打撃(バッティング)の練習をするとします。
上手な選手の打撃を見たり良指導を受けたことで打てるようになっても、その段階で練習をやめてしまったら試合では打てません。
勉強も同じです。
勉強をヤル気の有無で考えている
勉強はヤル気ですることではない。
他人に対し、「ヤル気を出せ」と言う人がいますが、それでヤル気が出れば苦労はしません。
勉強とは「高得点をとりたい」「志望校に合格したい」「将来お金持ちになりたい」など、欲する「何か」があり、それを手に入れる「手段」の一つです。
勉強自体は「目的」ではないので、ヤル気どうこうは言葉の使い方が間違っています。
また、欲する「何か」は本人にしか決められないことです。
しかし勉強が何に役立つのかわかるのはずいぶん先ですし、そもそも勉強が何に役立つかなんて勉強しないと絶対にわからないのですから、「ヤル気」という観点では話も勉強も進みません。
勉強したフリをする
客観的には、しっかり勉強しているのにできるようにならないことは、かなり深刻な問題で、勉強したフリをされると「どうして、できない」のか理由がわからなくなります。
たとえば「勉強はしたくないが、親や先生に叱られるのは嫌だ」という場合・・・机に向かって教科書を開けば叱られなくなるから、その段階で欲求は満たされます。
「教科書を開く」までは欲求を満たすための行為ですが、その先には欲求がないので自発的ではありません。
机から離れたり教科書を閉じれば「叱られる」ので、危険が過ぎ去るまで「欲求にないこと」を継続しなければなりません。
ノートを過剰に装飾したり頻繁にトイレに行くのはストレスを紛らわすためですから、それを直接注意したところで絶対に治りません。
嘘つき(言い訳が多い)
「だって、、、」「でも、、、」とにかく言い訳が多い生徒の学力はのびません。
もちろん、ホームタスクや学校の授業を「部活を言い訳にてきとうにしてしまっている場合」も伸びません。
このような生徒は、とにかく嘘が多い!遅刻や忘れ物も沢山します。
嘘を平然と言う生徒は、自分で自分の学力を引き下げているようなものです。これは学力の末期症状だといえます。
嘘をつく生徒には、誰も手を施すことができません。もう手の付けようがありません。
生徒の嘘なんて、大人はみんなお見通しです。おそらく「うまくダマせた」と思っているでしょうが、そんなことはありません。
見抜いてはいるものの、言うのが面倒だったり、嫌われたくないから言わないだけです。